国家公安委員会委員長記者会見要旨

1 日時 平成22年4月9日(金)8:44~8:55

2 場所 衆議院議員食堂

3 概要   閣議が行われまして、一般案件の中で「特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法に基づく特定船舶の入港禁止措置に関する閣議決定の変更について」、また、「外国為替及び外国貿易法に基づく北朝鮮に係る対応措置について」それぞれ決定の案が出されて了承されました。また、これに関して、内閣官房長官から発言があったところでございます。特に、貿易の関係において、北朝鮮と第三国の間の貨物の移動に伴う貿易、貨物の売買、貸借又は贈与に関する取引、仲介貿易取引、輸入承認を受けずに行う原産地又は船積地域が北朝鮮である貨物の輸入の代金の支払い、こういったものについて禁止だと、しかし、人道的な目的でやるものについては認めると、こういう項目が入ったのが従来と少し変わってきたことかと思っておりますし、私なりに発言したことも取り組まれてきているのかなと考えております。なお、官房長官の発言で、「北朝鮮の具体的な行動を引き出すため、我が国独自の措置及び国連安保決議に基づく措置を着実に実施しているところですが、各閣僚におかれましては、措置の執行に当たっては、関係省庁が緊密に連携し厳格に対応するようお願いします」、こういう一文は、私が申し上げたところを特に考慮してのことでございます。後は、原子力白書、事業仕分け、行政事業レビュー等についての川端文科大臣、あるいは枝野大臣の発言がありました。その後、少しマニフェストの実行財源ということについての論議が行われました。財源をどうするかという議論をめぐって、枝野さんから、「マニフェストに書かれていることは、4年間で9兆円のフローを作ることだ。しかし、税収が9兆円落ち込んでいるために、ここのところで国民の皆さんにも誤解がある。既に今、9兆円のうち2兆円はフローで確保した。こういったところを、きちっと申し上げながらやっていかなければならない」というような御発言もありました。なお、総理がアメリカに行かれるということで、お気を付けてということで終わったところでございます。

皆さんには、ファン・ジャンヨプ氏来日に関しまして、格別御協力をいただき、また御迷惑も掛けてまいりました。昨日6時、無事帰国をされて、招待者として有意義な訪日であったと喜んでいるところでございます。これを契機に、韓国側とまた十分な連携を取って情報収集等に努めてまいりたいと考えています。以上です。

問 第三国経由の北朝鮮への輸出・輸入を実際に規制できるのか辺りのお考えをお願いします。

答 こういう官房長官の発言がありましたから、一度、関係閣僚で摺り合わせ、打合せ、また、実態調査というのができるのかどうか、こんなところを考えてみたいと思っています。

問 規制について、実際にできるのかについて考えると。

答 実際にどういうことができるかということです。

問 制裁の措置は、それぞれ1年間ということですか。

答 そうです。

問 制裁措置についてなんですが、大臣御自身の考え方も取り入れてもらったんだと思うのですが、改めて今回の制裁について大臣のお考え、受け止めをお願いします。

答 この制裁の仕組みは、核開発やミサイル発射に端を発してやられたことでありますし、関係閣僚会議というのも拉致対策担当大臣というのは元々入っていないんですね。だけど、会合においては私共の者も派遣をして、私なりの想いを発言させたところでございます。そういうところで、外務当局と少し議論があり、ある程度摺り合わせは終わりましたが、内閣府でお作りになったのを見ますと、また一工夫されているなと、苦労されているなという感じがしまして、何も言わずに了承をいたしたところでございます。

問 大臣として、評価はされるということでしょうか。

答 難しいところですが、この内閣官房長官の発言のとおり、関係閣僚間で第三国経由の貿易というものをチェックできるように体制が少しでも作れるなら前進だと考えています。

問 新党名が「たちあがれ日本」ということで、メンバーも大体決まりましたけれども、大臣の受け止めをお願いします。

答 僕と同じ歳か、僕より歳上の人ばっかりがお元気で、志大きくああいう行動をされたことには敬意を表します。どういうふうに行くのか、どうなるのか、よく見えません。平沼さんと行動を共にされた方お二人がお入りになっていないとか、まだ少し時間が経たないと分からない部分がございます。「たちあがれ日本」というのは、石原さんが、平沼さんと与謝野さんのリハビリで元気付けたのかなと、ひやかし半分に言っていますが、それはひやかしですから。僕ら、新進党を作る時も幾つも案が出て、最終は投票になって新進党という名前になりましたよ。僕は新進党というのは反対で、他の党名へ投票をしたのを覚えています。それが分裂して、自由党ということになりましたが、一番最後に私が旧民社党メンバー数人と、この結成に参加したんですが、その時に自由党という名前だと言うのでびっくりしました。これは、河村たかし君が自由党にしなければだめだと言うので付けたと言われていますが、言った当人が一番先に抜け出したんですから、訳分からんですな、この世界は。だから、党名ということに関してはいろんな想いがありますし、当事者も悩まれたんだろうと思います。しかし、与謝野さんや平沼さんが、みんなの党というのが成功したからといって、ひらがなにするとは思わなかったな。ちょっと、イメージが違うよね。